神奈川県議会議員 松崎淳 公式ブログ 夢あきらめないで!

語り継ぐ記憶。

 戦地に赴かれ異国の地で散華された多くの御霊に対し謹んで哀悼の誠を捧げます。また国内で空襲などにより家族をそれまでの暮らしを一瞬にして奪われた多くの方々が戦後弔いと苦しみの中から復興に尽くされたことに思いを致し今日ある者の一人として平和への責務を改めて痛感しています。語り継ぐことの大切さはなお一層ますばかりです。犠牲になられた全ての方に対し、二度とこのような悲惨な戦争を繰り返さないことを誓います。

 語り継ぐ記憶を取り上げた本会議から7年。終戦の年の5月29日の横浜大空襲と6月10日の富岡空襲を地元の方たちから聴いた記憶として書いておきます。
 信じがたいことに、工業地、商業地、住宅地及びこれらの混在地が、焼夷弾攻撃でどのように燃えていくかのデータを、当時の米空軍は得ておらず、8000人から1万人の方が亡くなられた横浜大空襲は、そのデータ収集のための実験的攻撃でした。無差別爆撃を昼間、B29 517機で戦闘機101機を引き連れて行ったのは目的がありました。空襲の規模は東京大空襲を上回っています。
 横浜大空襲から12日後の1945年6月10日、富岡地区はアメリカ軍から空襲を受けました。今の富岡総合公園には横浜海軍航空隊の基地が、能見台のイトーヨーカドーには日本兵器産業の工場があり、海沿いには軍需工場が立地していました。投下された爆弾は約250発。約100人の方が亡くなられました。
 湘南富岡駅に入線した列車はトンネルに退避しましたが前後から爆撃され猛烈な爆風で全ての窓が損壊、逃げた乗客は道路沿いの下のトンネルで爆撃され、殆どの乗客は遺体で近くのお寺へ運ばれています。家屋への爆撃でも富岡地区の59戸が全壊、12戸が全焼しました。
  1. 2013/08/15(木) 05:05:24|
  2. 横浜市金沢区