神奈川県議会議員 松崎淳 公式ブログ 夢あきらめないで!

9月11日

9.11から13年。ケネディ大使みずほフィナンシャル銀行本店で犠牲となられた方に対し花輪をささげました。事件の翌年僕は国務省の招待を受けて訪米し現地を含め約4週間かけて7州を訪問しました。
9月11日当日の日記を読み返しています。
9月11日
    [ ミネアポリス~サンフランシスコ ]
 2800人が犠牲となった日から一年。 ニューヨークと同じ悲しみと痛みを分かち合うように、ミネアポリスでも午前7時半から中心部の広場で追悼の式典が行われた。
 広場の正面には、消防のはしご車によってビルの4階分の高さから星条旗が掲げられ、開始時刻前から、2000人近い人で埋めつくされた。例えばそれは、周辺のオフィスビルから出てきた人。高層階から窓ごしに見守る人。通勤途中に立ち寄った人。その目は、何かを待ちこがれるようでもあり、虚空を見つめるようにも思える。市長や警察、消防の幹部が並び、静寂の中で国歌の独唱が始まると、波のように押し寄せる高まりの中で、めいめいの心に一年前のきょうの出来事を刻みつけているようだった。
 「怒りを希望に、悲しみを喜びに変える力を」と壇上からの呼びかけ。「自由」に普遍的価値を認め、信奉してきたアメリカ。一方で、貧富の差は地球規模で拡大し、グローバル化を推し進める程に、その差は国と国、民族と民族の差となっていく現実。テロリズムに対して毅然たる態度をとることは当然だが、世界の混迷の源であるこうした矛盾に対し政治はどう答えるか。 私なりに探せば、それは、やはり、市民同士の連帯により政治や社会を運営する実力を持つこと、現実的な社会開発のプログラムを推進することだ。地域の中で、あるいは、国境を越えて市民パワーをつなぐことだ。これこそ、今の時代の政治の仕事だ。
 通勤時間帯のためであろうか、わずか20分の式典のあと私たちが戻った日常の世界にその出発点はある。 
 今日は、今までの中では最もスムーズなミネアポリスの空港の検査に驚きながら搭乗。ミシシッピー河を越え、大平原を渡り、ネバダ砂漠、ロッキー山脈の雪原を眼下にサンフランシスコに到着。時計を2時間戻す。今までのどの都市よりアジア系の顔つきの人が多い。変な言い回しだが”異国”である。それにしても寒い。10℃くらいか。
 夕方、911追悼のため、サンフランシスコ交響楽団によって野外コンサートが開かれた。広場は5000人をこす市民であふれている。ミカエル・T・トーマスを音楽監督に迎え、「悲愴」などの曲が奏でられる中、草むらに腰をおろし、耳を傾ける。 主に20~40歳代の若い人が多いが、白髪の老夫婦の姿も目立つ。リンカーンの言葉の朗読が始まる。
 周りを見渡せば、セーターやジャケットに手を突っ込み耳を澄ます人々。目を閉じている人、空を見上げる人、子どもを抱く人、奥さんの背中をそっとなでる人。多くの人 が何かを考え、何かを探し、何かを信じようとしている。
 ここには、自由を守ることはもちろん何らいとわないが、力による対峠を超えて、 「人として何ができるか」ということから考えてみよう、そんなムードが満ち満ちていた。
 そして、これもアメリカの「自由と民主主義」の原点であるはずだ、と印象深かった。
  1. 2014/09/11(木) 13:23:03|
  2. ニュース